ともに青春を歩いた、といってもいいほど憧れ、見続けた天才レーサーだった。オラが生まれてから実際にこの目で見た中で最高のレーサーだったかもしれない。
故飯塚将光、島田信廣、岩田行雄、田代祐一、鈴木辰巳ら、時代を築いた強豪選手はあまたいたが、成績(実績)以上に誰とも違う異次元の印象を残したレーサーだった。ことに選手間での驚きや尊敬がものすごく、いわく「信じられないような角度から曲がってくる」「とてもついて走れる気がしない」と対戦相手に何度も言わしめた。
実は最初の子供が生まれる時に、巧(たくみ)の音をもらって字だけ変え「匠」とつけようと考えたことがある。親の反対もあり実現しなかったが、それほど人を惹きつける何かを持っていた。レース以外の場所で見せる笑顔も飛び切りで、「こんなおっとりした人が何であんな走りを・・・」と思ったものだ。
49歳。いったい何があったのか。
スプリーセン、レネン、クランツ、レンファーラー、キブロワイト。片平巧が自分でつけたバイクの登録名である。全部、本当に全部好きだった。
残念至極。合掌。
# by livehouse-uhu | 2015-05-21 14:25 | Comments(0)