2018年 11月 04日 ( 1 )

 

赤とんぼの詩

 オラのカバン(カバンが代わっても)にずっとついているオレンジ、いや橙色の飛行機を知っている人はいるだろうか。九三式中間練習機、通称「赤とんぼ」。

 第二次世界大戦中、練習機として使用された名機中の名機。世界中の尊敬を集める日本の名パイロットの多くは、この機で練習し大空に飛び立っていった。オラはそのピンバッヂを靖國神社で買い、それ以来いつも一緒にいる。

 その練習機「赤とんぼ」は、大東亜戦争末期になんと特攻機として使われた。特攻と言えば有名な零式艦上戦闘機「ゼロ戦」をはじめ、一式戦闘機「隼」、三式戦闘機「飛燕」など大日本帝国が誇る高性能機を思い浮かべるだろう。なにしろ敵艦の対空砲火をかいくぐって突入するのだからスピードがなく操縦性が悪ければすぐに撃墜されてしまう。実際そういった高性能の飛行機ですら失敗は多かった。しかしそれらの高性能機はすでに特攻で大半が失われており、残っていたのは練習用の「赤とんぼ」くらいだったのだ。日本はもうそこまで追い詰められていた。

 1945年7月。沖縄戦も終結し敗色が濃い中、台湾の竜虎海軍基地で特攻命令が下った。彼らに付けられた名前は「神風特別攻撃隊第三竜虎隊」。それこそが練習機「赤とんぼ」をもって敵艦に体当たりをする任務を与えられた飛行兵達だった。

 「赤とんぼ」は、台湾の新竹基地から宜蘭基地を経由し石垣島へ、石垣島から宮古島へと小刻みに移動した。 木製布張りの複葉機「赤とんぼ」はわずか300馬力(先にあげた高性能機は2000馬力級)。その機体に250kg爆弾をくくりつけているのだから、一度では目的地にたどり着けなかったのだ。

 宮古島の基地から飛び立った「赤とんぼ」は米艦隊の群がる沖縄の海に向かった。当時の戦闘機の最高時速は約600km、250キロ爆弾を積んだ「赤とんぼ」は約130km。少し早い車並み。とても成功するとは思われない特攻だった。

 しかし。

「赤とんぼ」特攻隊は那覇市南西90キロ海上で米駆逐艦「キャラハン」を撃沈する。何故そんなことが起きたのか。これまでの特攻作戦で米艦隊は徹底した警戒をしていた。レーダーは最新式で日本軍の飛行部隊を150km先で捕捉できた。ところが「赤とんぼ」は夜の海を海面すれすれで飛んでいた上、木と布で出来ている。なおかつあまりに速度が遅く、高性能レーダーは飛行機だと認識しなかったのだ。


 視認できそうな距離でようやく敵機だと気付いた米軍は慌てて撃墜準備をした。だがあまりの低空飛行に高射砲が撃てない。至近距離に近づいたところで機銃を掃射するも「赤とんぼ」の布張りの機体は弾が貫通してしまった。身体じゅうに弾を受けて穴だらけの「赤とんぼ」は、敵最新鋭駆逐艦のどてっぱらに体当たりした。250キロ爆弾がさく裂、弾薬庫に誘爆した「キャラハン」はあっという間に海に沈んだ。
 
 それが大東亜戦争で日本の特攻機が撃沈した最後の艦だった。
 
 「第三竜虎隊」。海軍上等飛行兵曹、三村弘(岡山県)。海軍一等飛行兵曹、庵民男(鹿児島県)。佐原正二郎(静岡県)。川平誠(静岡県)。原優(長野県)。近藤清忠(長野県)。松田昇三(東京都)。

 宮古島市営陸上競技場に彼らの碑が建っている。

 

 もう何も思うまい 何も思うまいと 思うほどこみ上げる父母への思慕 故郷の山河

 今生の別れの瞼にうかぶ 月影淡く孤独を伴に 無量の思いを抱き

 唯ひたすら沖縄へ この胸中いかにとやせん ああ途絶の死 真に痛恨の極みなり 


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by livehouse-uhu | 2018-11-04 11:44 | Comments(2)