2018年 05月 15日 ( 2 )

 

逃避II

 嫌でも目に入ってくるニュースや記事を避けようとする心は、さらに卑怯に「具体的な事件の内容とは別の怒り」に感情を転化しようとする。

 たとえば「もしこの事件で逮捕された近所の男が殺された女の子とはなんの接点もなく性的欲望のために命を奪ったのだとしたら、それでも死刑廃止論者は犯人を死刑にするなと叫ぶのだろうか」という風に。

 これはもう単なる感情の吐露で、それこそ「死刑制度の是非について様々な文献を読み様々な考察の上に理論武装した死刑廃止論者」なら簡単に論破するだろう。そもそも主張するつもりも議論するつもりもないのだが。

 前述した通り、オラがやっているのは「卑怯な感情の転化」である。だが、感情よりも社会構造の中における自身の主義主張が優先するような人間よりはマシかもしれない。

 それにしても・・・。

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by livehouse-uhu | 2018-05-15 11:31 | Comments(0)  

逃避

 あまりに酷い事件があるとそのことについて考えるのが辛くてつい目をそらしてしまう。

 新潟で女の子が殺された事件などは、新聞の見出しを読んだだけで胸が苦しく、記事を詳しく読むのが難しい。

 子供の有無に関わらず多くの人がそうだろう。親御さんの気持ちはいかばかり、なんて考えることすら心が拒否しようとする。

 これは誰かを思いやったり同情したりするのとはまったく別(あるいは逆)の「自分には関係ないこと」「これから先も関係なくあって欲しい」という卑怯な感情なんだと思う。

 それにしても・・・。

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by livehouse-uhu | 2018-05-15 10:49 | Comments(0)