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自由という不自由

「あいちトリエンナーレ」なる国際芸術祭(?)での「表現の不自由展・その後」 という展示について、例によって様々な人が様々なことを言っている。好き勝手に相手を批判し自分が正しいと主張している訳だ。

 実に自由な国だ。そんなこと許されない国がいっぱいあるんだからね。

 極端な左寄り勢力は「表現の自由」を叫び、極端な右寄り勢力は「反日プロパガンダだ」と喚く。これまたいつもの通り、市井の人々はどちら側にせよ政治的思想信条に動かされた極端すぎる意見には与せず「少なくともこれは芸術ではないよなぁ」というあたりが多くの感覚のようだ。

「自由」は尊いと思う。正しいか間違いかは別として世界中の多数の人が共産主義国家も独裁国家も称賛しないのは「自由」が制限される度合いが強いからだ。

 ではその度合いはどこまでが適正な社会と言えるのか。「すべてが許される世界」も「すべてが管理される世界」も通常ありえないし誰も望まないだろう。「今現在のその世界(自らが所属する集団)の常識や心情」によって判断されるしかない。そしてそれがやはり正しいか間違いは別として(出来る限りたくさんの議論の上で)「やむを得ず」多数決で採用されるのが民主主義国家だ。

 喩えよう。喩えるんかい!?いやまぁほら、自由でしょ。

 ライブハウスで30分の時間を貰ったとしたら。何を歌ってもいい。どんなパフォーマンスもOK。ラブソングあり、過激なメッセージソングあり、静かな弾き語りあり、爆音のバンドあり。

 下ネタ満載の下品なMCをかまし、笑う人は笑うが中には眉をひそめる人もいる。それもしょうがない。全員にウケるのは無理。「テメェらなんかに俺の歌がわかってたまるか!さっさと帰れ!!」今時流行らないタイプだと思うがそれも別にいい。対バンは少し迷惑。次から仲間やブッキングは減るだろう。覚悟の上なら。

 ステージ上でどこかの国の国旗を引き裂き「こんな国や国民は地上から消してしまえ!」「つぶせ!つぶせ!つぶせ・・・」

 もしそういうライブだとわかっていたら、オラは表現の場として自分の店のステージを貸さない。知らずに受け入れてそういう表現が行われたら、自由であるはずの表現を中止して帰ってもらうだろう。それが「どこのどんな国であっても」だ。

 大切なのはこの「どこのどんな国であっても」だと思う。そしてもっとも汚いのは、ある思想信条を主張するためにやっていながら、それを「これがオレタチの音楽です!」と偽装することである。

 誤解を招かないように注釈を。逆にどこかの国と「仲良くしようよ」という歌なら国名入りも大歓迎だし「ある国」の名前を出さず、説得力のある比喩と素晴らしいメロディで「ある国(体制)をぶっ潰そう」という歌なら何の文句もない。それこそが歌の持つ力のひとつだと思うからだ。矛盾してる?してないよ。

by livehouse-uhu | 2019-08-11 12:20 | Comments(0)  

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