記事や評論とは違う

 ここのところ筒井康隆大先生の「言語姦覚」を読み返していてふと思ったのだが、送り出された作品が世間一般にどう評価されているかはさておき、少なくとも詩人(広義に作詞家を含めてもいい)と名乗る人間(つまり広義でではシンガーソングライターを含めよう)が自らの詩(詞)に使われる日本語の正当性(日本語で構築された作品のたとえ単なる言葉遣いという枝葉末節であれ)を「著名な作家の意見」だの「国語審議会の答申」だの「広辞苑」だのに求めるようになったらそれはもはや詩人としての終わりを意味するのではないか。

 遠慮がちに「意味するのではないか」などと書いてみた。

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by livehouse-uhu | 2017-09-25 15:47 | Comments(0)  

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