胸に抱きし、再び
姫神山に祀られた姫神さまの名は立烏帽子神女。
平安時代。鬼退治の勅を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂は、馬で伊勢鈴鹿山に向かった。しかし、そこに鬼はおらず、いたのはひとりの神女。
「我は、この山に住む立烏帽子というものなり。奥州厳鷲山にすむ鬼、大猛丸がわらわを犯そうとやってくるが、従わぬため暴れ、里人を害している。我、汝の嫁になり援助するので大猛丸と戦い勝利を得よ」
神女は田村麻呂に宝剣を授け、ともに奥州厳鷲山に向かった。
延暦16年、奥州厳鷲山の麓、森ヶ岡に陣をしいた田村麻呂は、大猛丸を攻め、八幡平に追いつめて退治したという。
お気付きの通り、奥州厳鷲山は岩手山、森が丘は盛岡である。そして立烏帽子神女はそのまま姫神さまとして岩手の姫神山に祀られたのだ。
う~む、岩手からわざわざ伊勢鈴鹿山まで立烏帽子神女を「犯しに」行った大猛丸も相当だな。犯しに。犯しに。犯しに・・・何回も言わなくてよし。はい、すみません。
田村麻呂も猛将の誉れ高いとはいえ、所詮人の子である。姫神の力無くしてはやはり大猛丸を討つことは叶わなかったのではなかろうか。
人と姫神は愛し合えるんだな。オラが小さいころから見ていた姫神山の姫神さまは、何故だかオラの方も見ていてくれる気がする。
自惚れんなよ。罰が当たるぞ。
平安時代。鬼退治の勅を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂は、馬で伊勢鈴鹿山に向かった。しかし、そこに鬼はおらず、いたのはひとりの神女。
「我は、この山に住む立烏帽子というものなり。奥州厳鷲山にすむ鬼、大猛丸がわらわを犯そうとやってくるが、従わぬため暴れ、里人を害している。我、汝の嫁になり援助するので大猛丸と戦い勝利を得よ」
神女は田村麻呂に宝剣を授け、ともに奥州厳鷲山に向かった。
延暦16年、奥州厳鷲山の麓、森ヶ岡に陣をしいた田村麻呂は、大猛丸を攻め、八幡平に追いつめて退治したという。
お気付きの通り、奥州厳鷲山は岩手山、森が丘は盛岡である。そして立烏帽子神女はそのまま姫神さまとして岩手の姫神山に祀られたのだ。
う~む、岩手からわざわざ伊勢鈴鹿山まで立烏帽子神女を「犯しに」行った大猛丸も相当だな。犯しに。犯しに。犯しに・・・何回も言わなくてよし。はい、すみません。
田村麻呂も猛将の誉れ高いとはいえ、所詮人の子である。姫神の力無くしてはやはり大猛丸を討つことは叶わなかったのではなかろうか。
人と姫神は愛し合えるんだな。オラが小さいころから見ていた姫神山の姫神さまは、何故だかオラの方も見ていてくれる気がする。
自惚れんなよ。罰が当たるぞ。
by livehouse-uhu | 2016-06-01 21:11 | Comments(2)
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TT
at 2016-06-04 21:22
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「♪かんむのむかし たむらまろー とうほくちんごの めいをうけー~」と昭和4年生まれの母親が歌います。2年間通った尋常高等小学校の校歌だそうです。
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by
livehouse-uhu at 2016-06-04 21:35
そうなんですよ、その辺東北にとっては複雑ですよね。鬼退治に来てくれたとなればどちらにとっても一番いい気がするんですがw