人気ブログランキング | 話題のタグを見る

空虚な言葉

 常々書いているように僕はどんな思想も自由だと思う。

 ただし暴力で押し付けたり卑怯な嘘で人を欺かない限り。

 広島市長、秋葉忠利氏が個人的にどんな考えを持っていようが自由だ。けれども広島市長という立場を利用して、それを公の場であたかも日本国民や広島市民すべての思いであるかのように発表するのは「汚い」を通り越し人間としてどうかと思う。

 ことに多くの人が反論しにくい「追悼」という建前を使って自身の政治的主張をばら撒くのはほとんど犯罪ではないのだろうか。

 2010年の「広島平和宣言」はもはや「ある個人」によるプロパガンダだった。

 「核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業で…」

 は、あ…?あなたのおっしゃる潘基文「閣下」は核廃絶にも難民にも「無関心」と批判されてるから形作りに広島にいらっしゃったのでは?身内を国連に登用するような方ですよ?

 「今こそ、日本国政府の出番です。核兵器廃絶に向けて先頭に立つために、まずは、非核三原則の法制化と核の傘からの離脱…」

 何故…原爆被害者という未曾有の暴力にさらされて亡くなった方々をダシにしてそんな政治的アピールが出来るのか。亡くなった方々は何も言わない。いろんな人生いろんな思いを断ち切られ、静かに眠っている。二度と繰り返さないためにどうしたらいいのかは諸説あろう。何故、何故、その方々の悔しさを己が活動の餌にして恥じないのか。

 亡くなった方々は「みな」あなたの思想に共鳴していたのか。

 僕にはわからない。人の死さえも商売になるなら「しめた」とほくそえむ時代になりつつあるのだろうか。

by livehouse-uhu | 2010-08-11 23:03 | Comments(0)  

<< 一寸の虫には けだもの!? >>