昔ながらの魚屋さんと和カフェ(なんじゃそら)なる店。それぞれ駒形通りでは東と西の端近くに位置する店だったが、また少し商店街が淋しくなった。
魚屋さんは以前は三軒あって、今は一軒だけになってしまった。そこは家族で経営しており、とても流行っている。物もいいし街中の料理人さんが仕入れているのが好印象なのだろう。
閉店した魚屋さんはたまに出している自家製の煮付けが素晴らしかった。でかい鯛のかぶと煮が180円とか。う~む、なんとなく閉店の原因がわかるな・・・。もちろん後継者とかいろいろな事情があったのだろう。淋しいことこの上ない。
和カフェの方は。
あの(といっても誰も知らんか)yayaの後のお店だ。よく「誰が商売をやってもうまくいかない場所」ってのがあるが、申し訳ないけれどそういうところだった。今まで何度お店が入り変わったことだろう。いまだにオラが仙台のヤマちゃんと並んで「大衆料理の天才」だったと思っているあのYが自殺してからもうだいぶ経ち、友人のMもそこで居酒屋をやったが、安くて美味いのに続かなかった。
それでもオラはその場所に店が出来ると一度は顔を出した。アパートから近いし、なんとなくyayaの残り香みたいなものを探したかったのだ。角の建物で、内装は変わっても細長い店の形は同じだったから。
ただ、今回の和カフェさんとやらにはとうとう一度も入らなかった。営業時間がオラの生活とずれていたというのもあるし、外に出ているメニューになんとなくピンとこなかったというのもある。でも、尊敬するこちらは掛け値なしの和食の大天才割烹Pの親方に「あそこの奥さんの料理はすごいんだ。盛付けとか繊細でとてもかなわない」とまで聞いていたのに。
実は。
朝オラが仕込みに行く時その店はいつも準備中だった。お昼にだいぶ早い時間だから当たり前なのだが、駒形通りに面した店の入口の前に、必ず入り口を完全にふさぐように三角の立て看板を置いていたんだ。店が始まったら開店の札をかけて看板を通りに出すのだろう。実際営業中に通りかかるとそうなっていた。つまり、店の前を掃除したりした後、看板で入り口をふさいで自分は店内に入っていたのだろう。
わかる。気持ちはわかる。開店前の仕込みは大切で大変である。予定通りいかない日もある。そんな時まだ開店前なのに「いいですかぁ~?」とお客さんが入って来てしまったり、中には開店間際の飲食店にセールスに来る人までいる。イラッとすることもあったのかもしれない。
だけど。
だけどオラは正直「この店には入りたくない」と思ってしまったんだよ。自分の店の入口を、自分で誰も入れないように塞ぐ行為。「まだだから。時間になるまで勝手に入って来るな」と言われているような気がした。食べていないのでどんな素晴らしい料理だったかは知らない。「言われているような気がした」なんてのもオラの勝手な思い込みだろう。
蝉がようやく本気を出したな。うるさいくらいだ。
今日は原爆の日。深く静かに追悼を。式典にかこつけて個人の思想信条や政治的主張などは聞きたくないと多くの人が思っているはず。
# by livehouse-uhu | 2015-08-06 13:40 | Comments(2)