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我が名はウルフ

 いや、違うし。ウルフじゃないよね、名前も雰囲気も。筒井康隆氏の「我が良きウルフ」は大好きだが。

 さぁ、それじゃ自己紹介(音楽的生い立ち紹介?!)するぜ。UHUのボス、一般的には「シンヤさん」と呼ばれています。

 あと音楽界では「ジャパニーズフレディ」、ラグビー界では「リトルJPRウイリアムズ」、
ボウリング界では「ピンクラッシャーロバートスミス2世」とか。ウソ。全部自称。

 岩手県生まれ。田舎だけどとてもいいところ。故郷だからそう感じるのはあたり前だね。高校の先輩に「はっぴいえんど」の大瀧詠一氏がいます。すごいでしょ。ってなにも自分がすごい訳じゃない。有名人におんぶするなよ。

 小学校の頃は、母親から邦楽(琴)、姉から洋楽(ポップス)を教えられたのに、結局歌謡曲が好きな子供でした。あの頃の歌謡曲は、充分鑑賞に値するレベルのものが多かった気がする。自己肯定、もしくは懐古趣味かしら。

 中学校で都会に転向し(といっても同じ釜石市内で実はどっちも田舎)、自分と同じ年の子がツェッペリンやキングクリムゾンを演ってる姿に驚愕。こっちがジュリーの比叡山コンサートに感動してる頃だもん、たまんないよ。

 でもその時点では「俺もこんなことしてる場合じゃない」とはならなかったなぁ。ちなみにジュリーのバックはゴダイゴで、とても上手かったです。

 高校に入って、ラグビーに夢中になりつつ、ギター同好会(可愛い名前)と掛け持ち。フォークソングを唄っていたところに、来ました来ました、スカウトが(大袈裟だな~)!

 「シンヤ君、僕らのバンドのボーカルとして文化祭に出ないかい?」(もちろん標準語じゃなかったけど)。

 忘れもしない、曲はツェッペリン、ポールマッカートニー、トッドラングレン(滅茶苦茶だな)。今考えると、ロクに練習もせず平気で出鱈目唄うのは、この頃から変わってないみたい。
卒業間際にはストーンズやジョーウオルシュ(やっぱり滅茶苦茶)も演ったよ。

 卒業後、仙台の大学に行ったんだけど、挫折の連続。ラグビー部からは脱走、学校はクビ、ほとんどプータローのハシリ。「何かしなきゃ」と思っているところに、キャプテンアンというライブハウスから誘いがあって、週5日唄うことに。どういうスケジュールだ。そしてそれから8年も国分町(仙台の繁華街ね)で過ごす事になるとは思わなかった。ではこの続きは次号をお楽しみに!

 別に楽しみじゃないか。

by livehouse-uhu | 2006-11-21 10:52 | Comments(0)  

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