手段を選ばずⅡ

 極右と呼ばれる人達も極左と呼ばれる人達も思想信条は自由だ。本人がそれを正義と信じ自分の人生を捧げるのも自由。

 けれどたとえどんなにそれが正しく、実現することが世のため人のためだと信じていても、許されない「やり方」があると思う。

 ライブハウスで演奏をするミュージシャンならわかるはずだ。どんなに一生懸命演奏をしても、お客さんの心に届かない時もある。そう、オラが初めて弾き語りをした仙台のライブハウスキャプテンアンでもそうだった。お酒を飲んだり会話をしたりみんな楽しくやっている。そんな中で誰も知らない自分のオリジナル曲なんか聴いてもらえる方が不思議だ。それでもオラは歌った。どこか柱の陰にオラの歌を聴いてくれる人がきっといると信じて。

 それは辛くはあっても仕方のないこと。それこそオラはクロキユウタのような「選ばれし者」が彼を知らない人も多くてザワザワと煩かった店内をまさに「歌い出しの最初の一声」でしんと静まり返らせたのを何度も見ている。そういう力を持った人間がちゃんといる。「お客さんが聴いてくれなくて」なんていうのは言い訳でしかない。

 だが、もしも同じ箱で演奏する対バンのミュージシャンが「好きじゃない音楽だから」という理由で他のミュージシャンの演奏を邪魔したらどうだろう。それは絶対にあってはいけないことじゃないだろうか。前の席にはその音楽が好きで店を訪れ、熱心に聴いている人が座っている。その前に立ち「やめろやめろ!」「みんなこんな音楽聴くな!」と叫ぶのが同じミュージシャンだったら・・・。

 自分が反対する政党の演説があるのを調べて追いかけ、野次って妨害するというのはそういうことです。
 
 そういう行為を見聞きしたら(ミュージシャンであろうがなかろうが)(それが敵でも味方でも)、そんなやり方だけはダメだと思わなければおかしい。

 もし「でもその政党は悪いことしている(と私は思う)し、私とは考えが違うからそんな人達の邪魔はしてもいい」と考えたとしたら、その人は「活動家」かもしれないが、少なくとも「音楽を誰かの心に届けようとするミュージシャン」ではない。

[PR]

by livehouse-uhu | 2017-10-09 13:51 | Comments(0)  

<< 満足できるかなⅡ 青空の下砕ける波 >>