人気ブログランキング | 話題のタグを見る

われはみくにのやまざくら

 いつも自慢ばかりのボス部屋だが、今回は一段とひどいので、
他人の自慢話が嫌いな人は読まないでね。

 え!?今まで自慢だと思えるのは無かったって?!そりゃそれでみっともないな、オレ。

 前回予告の「輝いたのは高校ラグビーだけだった」です。

 小学校の運動会では、過疎で人数が足りなかったので
やむなく地区対抗リレーやクラス対抗リレーには出されたが、
足を引っ張るばかりで全然だめ。
基本的に「運動センス」ゼロで、意地だけはあったもののポートボールですら継子扱い。

 中学入学と同時に転校し、柔道部に入るも鳴かず飛ばず、
体育の時間や球技大会も陸上部やバスケット部のスター達の邪魔ばかりしていた。
シンヤの評価は「勉強はそこそこで、ギターを弾けるが、
ハッキリ言って運動神経は大したこと無い」ってなところだったと思う。

 何故に高校入学と同時にラグビー部に入ったのだろう。
新日鉄釜石が「天才・松尾雄治」を擁して初優勝するのは入部後である。
理由が自分でもわからないとはちょっとウソくさいが本当だ。

 しかも入部直後の練習を見た3年生のキャプテンは
「残念だがレギュラーになることは100%無いだろうけど、3年間やり通して欲しい」
と考えたそうな(後に本人から聞いた)。

 ビッグバンは突然だった。足が速くなったのだ。
はじめはみんなについていけることが嬉しかったが、
そのままスピードを落とさずに曲がれることに気付いたあたりから、不思議な感覚を味わった。
ボールを持って走るとかえって足が軽くなる。
陸上的には最低の走り方だったフォームが武器に変わった。
なんと1年の秋、新人戦の頃にはレギュラーのスクラムハーフになっていた。

 10点満点で、選手としての自分を冷静に分析すると、
戦術的判断力2、パス4、キック3、ダッシュ8、俊敏性9、持久力6、パワー5、ガッツ10
といったあたりだったろうか。バランスには欠けたがミスを帳消しにする勝負強さがあった。

 それから3年間全国を狙えるチームで不動のレギュラーを守る。
大学にスポーツ推薦で入学した時は自分は晩成の大器なんだと信じて疑わなかった。
大学入学当初もラグビーには大事な50m走でほとんど同期を寄せ付けず、
ハーフからウイングに転向して、1年生からレギュラーになるつもりだった。

 ところが。やはり突然にそれはやってきた。

 まるであの3年間が幻だったように、オレのスピードと俊敏性は消えてしまったのである。
足が重く、練習についていけない。もともと欠点だった正確性の無さだけが際立つようになった。
花粉症が悪化して夜眠れなくなり、1年生の仕事である用具整備なども負担になった。
しかし自分がやらなければ同期の誰かの負担が増すのである。

 ラグビー部を脱走して学校も休学、東京に逃げたのは夏合宿の後だった。

 あれは、あの短い期間身体に満ち溢れたエネルギーは、何だったのだろう。
オレは「晩成」でもなんでもなく、ある瞬間の「期間限定成」だったのだ。

 自慢話はここから。

 高校2年生の時、釜石北高校と練習試合があった。
同じ中学のサッカー部だったヤツが同じポジションでレギュラーになっていた。
試合前、オレに気付いたそいつは、「へぇ、お前レギュラーなの?さすが南高だな、ははは」
と薄笑いを浮かべ、明らかに「こりゃ貰ったな」という顔をした。
中学卒業以来初めて会ったのだから無理も無い。

 試合は74対3でオレ達南高が勝った。ほとんど粉砕である。
何度か1対1になり、オレは身体に触れられることもなくそいつを置き去りにした。
グランドに倒れこみながらなんとか手を伸ばしてタックルしようとするそいつの
「こんなバカな、こんなはずは無い!」という顔を今も覚えている。

 ざまぁみろ、という気持ちにならなかったといえばウソだが、
結局オレ達も花園には行けず、たった1校の優勝チームから見れば
たいした優劣の無い同じ敗者だったのだが。

 さらにバカバカしい自分褒めは続く。

 オレは。ラグビー選手としてのナカムラシンヤという男は。

 実をつける果樹でも無く、大輪のバラでも無かったが、
ほんのひと時咲いて散る、桜の小枝位ではあったのかなぁ。

 まぁまぁ、みなさん、そう怒らないで。
折れた枝の先の小さな花だった、ってことでお許しを。

by livehouse-uhu | 2009-04-01 18:03 | Comments(4)  

Commented by 風太 at 2009-04-01 22:19 x
ってことは。。。


次あたりバンド時代の話しですか
Commented by 凸ヤマ at 2009-04-01 22:29 x
全俺が泣いたッ(T_T)

・・・え?大学でスピードが落ちた、のだったのか?それは
知らなんだ。てっきり連夜の過剰な(ryでお日様が黄色(ry
グヘヘヘ、ラグビーなんてやってられっか(ry・・・みたいな流れ
だったとばかりw

椎名町の公園で徹夜カン蹴り大会の際、
俊敏性が落ちてる様には見えなかったが・・・(^_^;)

それはさて置き

中1時点の小生→シンヤの評価『勉強はダメダメ、
ギターも弾け無いが、良いオリジナルは創る。
ハッキリ言って運動神経と機転と体力がズバ抜けている』
だったんだが?w
Commented by シンヤ at 2009-04-01 23:56 x
 風太、ボス部屋のネタは時系列に
沿っている訳ではないのよ。

 バンド時代はブログのスタート時に
サラっと流してるからなぁ。

 凸、なんだかんだで自分でも避けていた事実を
このブログで思い出したり、吐き出したりしてるよ。
書き始めて良かった気もする。

 お日様黄色でグヘヘヘヘ、は椎名町から帰って
キャプテンアンで唄い始めてからだな。

 なっに~!勉強はだめだめだと~!国語出来たじゃね~か!
ギターは…アルペジオ出来たじゃん…。

 体力は100も200も400も800も1500もお前に負けた。
Commented by 凸ヤマ at 2009-04-02 14:26 x
S川先生マジック説も興味深いですなw

細かい訂正追加。100と200は小生に負けたかも知れないが
その先はケンジに負けたのでは?w
あ、でも3キロ勝った記憶在るな(^_^;)

<< ドナウは遠く 心優しい科学の子 >>